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金達寿事典

位置(小説)
空白

 日本大学芸術科の雑誌『芸術科』1940年8月号に掲載。同人誌以外の雑誌に掲載された金達寿の最初の小説(最初に書いた小説ではない)。「大沢輝男」という通名を使う朝鮮人大学生の張応瑞(ヂャンウンス)が棚網喜作という日本人の偽大学生と一緒に駒込付近のアパートで共同生活を始め、破綻するまでが描かれている。
 棚網は「お前が朝鮮人であることを気にするな」と言い、大沢はその言葉に意識的になりつつも好意から出た言葉だと思って共同生活を始める。しかしやがて「彼〔棚網〕は僕〔大沢〕にあるものを期待したようだったが、期待通り実現されていかなかったようだし、僕もまた彼の、ところどころに自分の優越を押しつけようとする態度が嫌になったきた」。物語の最後で大沢は棚網から、自分と別れたいんじゃないのかと切りだされ、朝鮮人である大沢と一緒に暮らしているせいで大家や友人から自分まで朝鮮人だと思われるが、それでも自分は大沢が可哀想だと思うから我慢してきたのに、と責められる。それに耐えられなくなった大沢は、大粒の涙をこぼしはじめ、「これで、僕の留守中に引越しをしてくれ」とがま口を畳の上において外へ飛び出す。

 金達寿は『文藝春秋』1940年3月号に転載された金史良の「光の中に」を読み、いたたまれない気持ちになってこの小説を一気呵成に書きあげた。書いた後でこの時期に彼が日大の学生たちとやっていた同人雑誌『新生作家』の同人で、横光利一門下の松本美樹に添削してもらってから、本名の金達寿で投稿した。しかし伏せ字が多かったことに恐れをなし、次からは大澤達雄というペンネームで投稿した。

 ちなみに棚網喜作という名前は、やはり『新生作家』の同人だった「田名網喜一」という人物からである。しかし達寿は、言うまでもなく棚網は田名網の名前を借りただけで、実際の田名網は棚網とはまったく違うと断っている。たしかに、本当にこのような関係だったとしたら、かえって田名網を連想させる名前を用いるのは避けるだろう。

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