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金達寿事典

叛乱軍(小説)
空白

 秋薫(チュフン)と朴仁奎(パクインギュ)という二人の朝鮮人青年が、麗水・順天事件(ヨス・スンチョン事件)の現場を報道した写真に衝撃を受け、戦争と植民地支配で失ってしまった「民族的バージン」を取り返すべく、パルチザンが闘争を展開している智異山(チイサン)に向かって「帰って」いくことを決意するという小説。『潮流』(彩流社)1949年8-9号に発表。

 秋薫は駅で朴仁奎と待ち合わせていた。やがて仁奎が出てくると、二人は仁奎の家へ向かい、家の前に来たところで秋薫は仁奎に頼み事があると言った。それは仁奎の馴染みの藤川という質屋にオーバーと時計を持っていくので、一緒に来てほしいということだった。秋薫は明日から、ある女性と一緒に箱根に行くので金が必要なのだと説明した。
 秋薫が、地崎あき子というこの日本人女性と知り合いになったのは戦争中のことである。彼女は当時、挺身隊逃れのために翼賛壮年団の事務所に来ていた。しかしその後はまったく会うこともなく戦後をむかえたが、あるとき秋薫が東宝の映画館に入ろうとしたところ、そこで切符を売っていた彼女と4年ぶりに再会したのであった。しかし彼女は相変わらず彼を「秋山さん」と創氏改名した通名で呼び、秋薫が本名で呼んでほしいと言っても、まったく相手にしなかった。そのような女性と箱根に行こうというのだった。
 秋薫の性格をよく知っている仁奎は、結局、彼を質屋に連れて行った。秋薫は礼を言って帰っていったが、仁奎は秋薫が熱心に活動してきた朝連を突然辞めて、さらに地崎のような女性と付き合っていることが堕落への道であると思わないわけにはいかなかったし、秋薫自身もそう感じていた。仁奎はある時期を境に、ずっと秋薫の後をついていく存在で、またそのことで仁奎は「脱落組」に入らずに、なんとか今日まできたのだった。しかし仁奎は秋薫のこの現状を見て、「今度はおれが彼を引っぱってゆく番かもしれない」と繰りかえし思わずにはいられなかった。
 翌日曜日、仁奎は自分が戦場にいる夢を見てうなされ、さらに家の前の竹がはぜている音で目が覚めた。彼の母親が海水を煮詰めて塩を作るため、流木などを燃やしているのだった。そこで仁奎はこれから自分が海水を汲んでこようと思い、その準備を始めた。と、そこへ李思淑が仁奎を訪れた。彼女は戦後、朝連県本部の女性同盟で仕事をしており、まだ23歳と若かったが、仕事の上ではなかなかの手腕を発揮しているのだった。思淑は仁奎に秋薫について少し尋ね、仁奎が旅行に行っていることを話すと、まもなく彼女は帰っていった。
 仁奎はズボンの裾をまくり上げてバケツを持ち、近くの干潟にいって潮汲みをはじめた。何度も往復して、ようやく日の暮れるころにドラム缶を一杯にした。しかしそれを見た彼の母親は、この潮は干き潮なので塩分が少ないから駄目だと言い、さらに上げ潮の時に汲めば遠くまで出かけなくてもすむのにと言った。仁奎は初めてそこで母の知恵を知り、窓枠に両手をかけ手首をつきだしたまま黙っていた。
 と、そこへ秋薫がやって来た。彼は、今日は仁奎と飲みたかったからと言って、酒を取りだした。昨日、秋薫は地崎と待ち合わせるためにバスに乗ったのだが、駅が近づいてくるにつれて「おれは馬鹿だ」と、自分が負った民族的「傷」をごまかすために地崎と会っているのだということに気づかざるを得なかった。秋薫はそのまま地崎と待ち合わせた駅を通り過ぎて小田原で降り、また帰ってきたのだった。
 「これがおれの箱根の土産だよ」と、秋薫は大判の雑誌を取りだして仁奎に見せた。アメリカの写真雑誌『LIFE』だった。その号には1948年10月20日に韓国で起こった「麗水・順天事件」の報道写真が掲載されており、銃殺される直前であるかもしれない人々の写真などがあった。
 秋薫は仁奎に、この闘いは敗北に終わったわけではなく、まだまだこれからであること、智異山で人々がパルチザン闘争を展開していることなどを、興奮して一人でしゃべりまくった。仁奎はただただ「うん、うん」と相づちを打つほかなかったが、しばらくして彼は秋薫に、どうして朝連を辞めてぶらぶらしているのかと尋ねようとした。すると秋薫がそれを察し、自分から話しはじめた。自分たちは独立と革命のために今まで闘ってきていた、しかしその闘いはあの8月15日からはじまったのであり、それまで自分はいったいどこで何をしていたのか……と、ここまで話して秋薫は仁奎の家を後にした。
 その2日後の夜、仁奎は秋薫に、近く刷新強化される機関誌の責任者に迎えたいという朝連側の依頼を携え、秋薫を訪ねた。彼は離れの中で本棚から本を下へ降ろしていた。仁奎が何をしているのかと尋ねると、彼は「おれは帰る」からと返事した。朝鮮に「帰る」というのだった。仁奎が驚いてさらに尋ねると、秋薫は言った。──朝鮮では労働者と農民以外は朝鮮人としての民族的バージンを失ってしまっている、それが俺たちなんだ、しかし今ここで自分たちも一つの闘いが与えられた、この新しい我々の民族のために闘うことでようやく自分たちも民族的バージンを取り返すことができるかもしれない、そこで自分たちが「帰る」とすれば、それは智異山以外にないじゃないか、と。
 仁奎はそこまで聞くと、一つの決意を固め、秋薫にいつ出発するのかと尋ねた。「僕も支度をしなくてはならないだろう」から。そして仁奎は秋薫を押し倒し、またも自分の先頭に立っている秋薫を辺り構わず殴りつけた。殴りつけながら仁奎の目から涙があふれだし、秋薫の顔を濡らした。

 二人の主人公のうち、秋薫が金達寿を、朴仁奎が張斗植をモデルにしていることは、作中の内容から容易に推測することができる。しかし仁奎の母親が海水を煮詰めて塩を作ったりするところや、彼女と仁奎のやりとりの部分については金達寿の生活がモデルになっている。地崎あき子や李思淑のモデルは不明である。
 また麗水・順天事件は、済州島の民衆蜂起を鎮圧するために送り込まれた韓国軍が、その途上でアメリカ占領軍と李承晩政権に対して反旗を翻した事件で、これ以後、韓国国内の左翼陣営は各地に散ってパルチザン闘争を展開することになるのだが、智異山もそうした場所の一つだった。なお麗水・順天事件を報道した『LIFE』の号は実在しており、現在インターネットで写真が公開されている。 → 麗水・順天事件の報道写真(英語)

 金達寿は自伝『わが生活と文学』で、1949年5月か6月ごろ、自分なりにいろいろ考えて日本共産党に入党したと記している。したがってこの小説は、彼が入党後に発表された最初の小説ということになるが、「叛乱軍」はそれまでの彼の小説から一歩踏み出し、アメリカ帝国主義との闘いに参加することを決意する内容で終わっている点で、民族主義から社会主義への彼の態度変更にふさわしいものとなっていると言えよう。しかしあくまでも民族解放のために闘うという点では、在日朝鮮人党員に天皇制との闘争に全力を傾注するよう指令していた日本共産党とは相容れない立場に立っている。

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