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金達寿事典

母とその二人の息子(小説)
空白

 朝鮮のある地方の中地主の次男だった安景沢に嫁いできた江端という女性が、これまで歩んできた人生を、三男の安東淳の視点から描いたもの。『群像』1954年5月号に掲載。単行本収録に際して題名が「母と二人の息子」に変更された。

 この小説は、金達寿がのちに『わがアリランの歌』にまとめることになる、彼ら一家の没落と苦難の歴史をほぼそのまま描いたものであり、出来事のほとんどは事実あったことだと推測される。そのため内容の要約は省略する。

 この小説は『群像』1954年6月号の創作合評では、青野季吉から、息子の部分は「抜いてしまって、母の苦労だけを描いた方が小説として生きたんじゃないかと思う。これはスタイルもごく自然主義的で、ぼくが何べんも読んだような小説だと思ったが、こういう描き方だと、母の苦労にシンパシイを持ちながらかえってその効果を薄らげているような小説だ」。「こういう重い石なら石をただここへ置いただけのもので、これを芸術にするためには、その石の置き方とか小説の方法とかいうことが大切なんです」と、母親の苦労の歴史に小説の芸術性が負けていると批判された。
 他の評者も同意見で、中村真一郎は「この小説は結局こういう境遇にあった息子が非常に詳しく事柄をこっちに向って話して聞かしてくれた、そういう事柄自身から受ける感銘が非常に深い小説ですね」と述べ、また河上徹太郎も「これは何といってもわれわれの知らない世界ですからね。なるほどあの人たちはこういうふうにして暮らしているのかという眼をひらかせてくれる」が、「小説の叙述の順序を追ってほぐれて展開していくものがないんですね。最初から一つの材料というものがあって、あっちこっち見せて教えてくれている」と語っている。

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