トップ画像

金達寿事典

釜山(小説)
空白

 朝鮮戦争下、「アカ」とされた朝鮮人が次々に処刑されていく、その一こまを、釜山で暮らす母親二人のやりとりをとおして描いたもの。『文学芸術』1951年4月(1巻2号)に発表。

 朴方九の妻は、4,5日前に、近所に住む長良徳の娘の秀温が町に出て春を売り始めたという話を聞いてから苛立ちが収まらなかった。彼女の一人息子である相有は、6年ほど前、中学を出ると北の咸興にいる義兄を訪ねにいくといったまま消息がわからなくなっていたのだが、彼女は相有が大きくなったら秀温と一緒になって欲しいと思っていたのだ。
 と、また上空でジェット機の爆音がなり、大砲の音や家の近くを兵隊が行進していく足音などが聞こえてきた。彼女は兵隊たちの行軍の音が聞こえている間は何かせずにいられず、廊下を力を込めて拭いたりしていた。
 そこへ朴方九が起きてきて、今日は裏山の共同墓地で夕方から「アカ」の処刑が行われるから、また見に行かないといけないといった。もちろん「アカ」が憎いわけではなく、そうしなければ今度は自分が疑われるからだ。今回は4,50人ぐらいが処刑されるらしい。彼女は夫に、いちいち見に行かなくてもいいじゃないかと言ったが、すぐに、もしかすると夫は処刑される者の中に相有がいないかどうか探しているのではないかと思い直して尋ねてみた。すると夫からは叱責の声が帰ってきた。
 やがて彼女はクワを持ちだし、やけくそのように、五升の米と一斗の栗を入れたブリキ缶が埋まっている地面を掘り始めた。そこへ秀温の母がやってきた。彼女は息子を2人とも兵隊に取られ、夫は中風で寝たきりだった。相有の母は秀温の母に、秀温のおかげでたいそうな景気だなと悪態を付くと、それをきっかけに二人の喧嘩が始まった。
 と、そのとき裏山から、一斉射撃の銃声が響いてきた。二人は互いに組み合ったまま動きを停止したが、続いてまた一斉射撃の音が聞こえると、その場にへなへなと崩れてしまった。一斉射撃の音は8回聞こえ、それが聞こえなくなるとほとんど一緒にすすり泣きはじめ、まず秀温の母親が拳で地面を一つ打って声をあげて泣きだし、続いて相有の母親が両手をさし上げて地面を打ち叩きながら泣き始めた。

 1948年4月3日、済州島で民衆蜂起が起こると、アメリカ軍と李承晩政権は軍隊を送り込みまたや右翼の暴徒をけしかけるなど大虐殺を行った。48年10月20日に送り込まれた韓国軍もその鎮圧部隊の一つだったが、彼らは麗水に到着したところで叛逆を起こす。
 反乱軍はまもなく鎮圧されたが、かろうじて逃げのびた人々たちがゲリラとなって各地に展開し、反政府運動を行った。これに対して李承晩政権は彼らに「アカ」のレッテルを貼り、捕らえては小説のようにその場で処刑していったが、その中にはかなりの数の民間人が含まれていたとされる。
 金達寿はこの小説の前に「孫令監」という小説を書き、日本国内の在日朝鮮人をとおして朝鮮戦争への抗議の声をあげたが、「釜山」はいわば、朝鮮戦争下で同胞が互いに殺し合う悲惨な状況のただ中にあることを、韓国国内の民衆をとおして描いたといえるだろう。

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system