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金達寿事典

空白
(1) 後裔の街 ※初出版
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裔の街(小説) ※初出版
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 幼少時に渡日し、そのまま日本で教育を受けて大学を卒業した朝鮮人の高昌倫が、従妹からの手紙を期に朝鮮半島に「帰り」、やがて民族主義に目覚めていく長篇小説。もともと回覧板の同人雑誌『鶏林』に2章まで発表したものを、戦後書き継いで、『民主朝鮮』1946年4月号~1947年10月号まで金達寿の名前で連載(全10回)したもの。以下のあらすじは初出にもとづく。

●登場人物
高昌倫……主人公。大学を卒業後、出版社に務めていたが、英梨からの手紙を期に京城に「帰る」。
南英梨……高昌倫の従妹。学校を卒業したばかり。
南容明……英梨の弟。中学5年生。
南泳勲……高昌倫の母の兄にあたる叔父。英梨と容明の父。
崔啓友……高昌倫の大学時代の友人。現在は京城の新聞社である東方日報社に勤務。
崔菜蓮……啓友の妹。
西山玲子……崔啓友の大学時代の恋人。崔が京城に戻る晩に彼から別れを告げられる。
李駿……高昌倫・崔啓友の大学時代の友人。
洪人植……啓友の高等普通中学時代の同級生。卒業後は京城の大学に進む。誤って子供の乞食を踏み殺してしまい、罪の意識にさいなまれる。のち、妻とともに鶏林園を設立して評判になるが警察に解散を命じられる。
洪温淑……洪人植の妻。
鄭仁龍……詩人。
文白喜……鄭仁龍の愛人(?)、詩人。
宋里英……鄭仁龍の誕生パーティーに集まった男。
李宋九、朴珪、韓、用洙、柳……いずれも鄭仁龍の誕生パーティーに集まった男。すべて別人かは不明。
佳山……鄭仁龍の誕生パーティーに集まった男。創氏をして「佳山」という苗字を付けた。
加藤木……高昌倫の下宿を頻繁に訪問する日本人の特高。
鈴木富夫……西山玲子の知人。京城駅から出征する。

第1章
 高昌倫が京城駅に降りたったのは「支那事変」の翌年、1938年5月のことである。改札口を出ると、純白のチョゴリとチマを着た英梨が彼を出迎えた。昌倫は鐘路の街角に立ってぼんやりとあたりを見まわし、故郷と自分自身の同胞の姿をそこに発見した。
 昌倫は7歳の時に両親に連れられて渡日した朝鮮人である。両親は日本で自衛工場を経営することに成功するが、昌倫が大学3年に進んだ昨年、相次いで亡くなってしまう。父の関係者は昌倫に経営を引き継ぐことを希望したが、学業を選んだ彼は事業を父の友人に譲り、母が死ぬとアパートの一室を借りてそこに住んだ。幼少時に千字文の手ほどきをわずかに受けた程度の昌倫は、母親とわずかに2,3語を交わすほかはまったく朝鮮語を話せない。そのためか、彼は大学にいた朝鮮人学生とは、2,3任のほかには交際することがなかった。
 孤独の中、アナトール・フランスに関する卒業論文を書きあげると、文化材料社という出版社がそれを刊行してくれることになり、「近代の終わり」という題で1000部ほど刷られた。しかし500部ほどが書店から返され、同僚は「高昌倫」という名前のせいだと言った。
 昌倫はそのまま文化材料社に就職し、著作権を買ったジイドやヴァレリーなどの評論を翻訳する仕事を行った。
 京城に住む英梨から手紙が届いたのは、昌倫の大学の卒業式の直前ごろだった。彼女は昌倫の母の兄・南泳勲の二女で、昌倫とは従妹の関係にあるというが、昌倫はそれを読んで初めて、九州にいる母方の叔父とは別に、京城にもまた母方の叔父がいることを知った。英梨はこの3月の卒業前に修学旅行で東京に行くことになっているが、そのとき初めて泳勲から、東京に高昌倫という名の従兄がいることを聞かされ、ぜひ修学旅行の機会に会いたいと思って手紙を出したのだという。
 東京から帰った英梨はその後も昌倫に手紙を出し、京城に来てくれるようにと嘆願した。しかしなかなか昌倫が来ないため、もう一度自分が東京に行くという手紙を出した。昌倫はすぐに返事を書き、京城へ「帰る」決心をした。出発に先だって京城にいる友人に手紙を出したところ、京城の新聞社に勤めている友人から、とにかく来てみるといい、自分もできるだけのことはするからという内容の手紙が届いた。こうして彼は京城駅で英梨と再会を果たしたのであった。
 昌倫は泳勲宅に泊まることになった。泳勲はある道庁の産業部長を務めていたが、昨年の秋に職を辞し、現在は自宅で過ごしている。彼は昌倫に、この国では意見を持つことは危険だと柔らかく注意し、昌倫の母の思い出話などを語ったりした。
 すると英梨と彼女の弟の容明が障子を開けて入ってきた。これを期に叔父との対話は終わり、昌倫は容明と二人、部屋に残された。すると容明は昌倫に、あなたは朝鮮語ができないのか、勉強する気はないのかと言ってきた。彼は中学5年生だが、もう学校は辞めようと思っていると述べて部屋を出ていった。

第2章
 崔啓友は、あるイギリス人教授のインタビューを夕刊の紙面に出し終え、窓の外を見ながら玲子のことを考えていた。玲子は啓友の大学時代の恋人だったが、啓友は京城に帰る日の夜、彼女に別れを告げた。しかし1週間ほど前、東京から玲子の手紙が届いたのだった。
 そこへ李俊から電話があり、後で会う約束をすると、続いて別の給仕が高昌倫の名刺を持ってやって来た。廊下で待っている昌倫とともに、二人は「扶餘」という名前の茶房に入った。昌倫は啓友に就職の世話を頼み、啓友は曖昧にそれに応えた。
 二人が李俊を待っていると、ある若い男が啓友に近づき、紙片を手渡して去っていた。それをちらりと見た啓友は昌倫に、李俊は急用ができて当分会えないと伝えた。
 二人が店を出ようとすると、そこにまた別の男が現れて啓友に近づいてきた。男が黙ったまま顔を苦痛そうに歪めて手を出すと、啓友はうっすら笑ってその手を握った。昌倫と啓友は再び腰を下ろし、啓友は昌倫にその男──洪人植を紹介した。昌倫は、大学時代、最も近しく古い友人だった啓友の交友関係に混乱しはじめるとともに、自分が「遠い故郷の国に来た」ことを理解した。
 三人は鐘路の裏通りを抜けて川縁に店を構えるある中華料理店に入り、ボーイが酒を運んでくると、それまで生気のない表情で卓に突っ伏していた人植ががばっと起きて酒を飲みはじめ、衝動的に暴れたり泣き出しながら酒を飲み続けた。昌倫は記憶がなくなるほど飲み、店を出た後は一人でふらふらと鐘路を歩いていたところ、英梨と容明が彼を迎えに来た。

第3章
 高昌倫が崔啓友に就職の斡旋を頼んでから数日が経過したが、なかなか実現しそうになかった。その間に昌倫は、南永勲と英梨の助力で小さな家を借り、食母(婆や)を一人雇った。
 その日、午後から啓友と会うことになっていたので、昌倫は家を出て待ち合わせ場所に向かう途中、京城駅に立ち寄って荷物が届いていないかどうか尋ねたが、まだ届いていなかった。と、昌倫は突然うしろから声をかけられた。振り向くと、西山玲子がそこにいた。二人は久しぶりに話をするが、だんだん噛み合わなくなり、ついに玲子は怒ってしまう。玲子は昌倫から啓友の住所だけ聞くと、去っていった。
 昌倫はその後、京城駅から待ち合わせ場所に向かったが、ある交差点を横切ろうとした時、少年の一人に財布を掏られてしまう。日本人巡査が彼にそのことを伝えると、とっさに彼は、財布はありますよと答えたが、それが巡査の怒りをかってしまい、彼はそのまま交番に連れて行かれる。巡査は昌倫を立たせたまま、なぜ君たち朝鮮人は乞食をかばうようなことをするのか、せっかく朝鮮総督府が朝鮮を近代化させこの国を発展させているのに君たちはそれに恩を感じないのか、自分は朝鮮人を我が子同然に思い、この地に骨を埋める覚悟でいるのに……と説教し続けた。昌倫は自分の気持ちが嫌悪から憤怒へと変わっていくのを感じながら、黙ってそれを聞いていた。そして見回りの警部補が現れ、ようやく昌倫は解放された。彼はむしょうに涙が溢れ落ちようとしてならなかった。
 昌倫がようやく茶房「扶餘」に入ると、啓友はすでにそこに来ていた。昌倫が掏摸にあったことや巡査のことなどを話すと、啓友は昌倫に、君のところにつまらない本はないだろうねと尋ねた。
 すると、若い女性を伴った男が店に入ってきて、啓友に近寄ってきた。
 啓友は鄭(仁龍)という名の詩人と文白喜という女性に昌倫を紹介し、鄭に朝鮮文化を紹介する日本向けの雑誌を編集するという話の進展について尋ね、昌倫もその編集に参加させるように水を向けた。鄭は朝鮮総督府を動かすことに首尾よく成功したことを話した。

第4章
 昌倫が下宿をはじめた日から、英梨は毎日かならず彼の下宿を訪れた。それは昌倫に朝鮮語を教えるためだが、昌倫は英梨から日本語で「お兄さま」と呼ばれることにだんだんと肉親の情以上の特別な感じを持つようになっていった。
 ある日、二人は朝鮮語の勉強を終え、総督府の近くにある山清公園に散歩に出かけた。頂上まで登ると京城の市街が眼前に広がり、総督府の建物が眼下に見えている。英梨と一緒に大きな岩に腰掛けながら、昌倫は、自分が座っているこの岩を落とせば総督府の建物は木っ端みじんになるかもしれないと考える。
 昌倫は英梨から、彼が京城に来る前、よくこの大きな岩に座って彼のことを考えていたと告白され、沈む夕日を見つめながら、自分は今まで恋をしたことがあるだろうかと考え込む。しばらく後、英梨のすすり泣く声が聞こえて昌倫は我に返り、二人はそのまま昌倫の下宿に戻った。
 すると食母から、英梨の家が大変なことになっていると告げられ、行ってみると家には英梨の両親から子供まで廊下に出揃い、黙ったまま座っていた。容明が家族に黙ってロシアに出奔してしまったというのだ。
 昌倫は容明が父に宛てた手紙を読み、幼いと思っていた容明の驚くべき決意に敗北を感じる。どうしようもない寂しさを感じた昌倫は家を辞し、ふらふらと鐘路をさまよい歩いた。
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 同じ日、崔啓友は「沙羅」というカフェーで鄭仁龍と飲んでいた。西山玲子も一緒だった。仁龍は最近、日本語で詩を書き雑誌に発表したが、日本語で書いたということが文人たちの間に喧騒を引き起こしたのである。仁龍は啓友に、「俺は書きたいんだ」「君は俺たちの国語が俺たちに還ってくる時があるというのか」などとわめき散らした。
 啓友が仁龍をカフェーに置いて店を出ると玲子も後に続いた。街灯の明かりのもと、二人は短い会話を交わし、そのまま別れた。
 日付が変わった深夜1時過ぎに啓友が帰宅すると、妹の菜蓮が部屋に入ってきた。啓友は菜蓮に縁談の結果を尋ね、菜蓮はそれを断ったと返事した。すると啓友は本棚から昌倫の『近代の終り』を抜き出して菜蓮に見せた。菜蓮は昌倫の名刺と見比べながら、この人なら10時ごろに家に来たと言い、ついでのように人植も7時ごろに訪問したことを話した。
 菜蓮が『近代の終り』を手に部屋を出たのち、啓友は机に肘をついて、昼間に新聞社で起こった社会部長との会話を思いだしながら、ぼんやりと考え込んだ。啓友は学芸部員であるが、ときどき社会面の記事も書いており、「鶏林園」の解散についての記事もそうして書いたものだった。
 「鶏林園」は洪人植と彼の妻の温淑が設立した子供の乞食のための施設である。人植と啓友は高等普通中学の同級生で、卒業後は人植は京城の大学へ、啓友は東京の大学に進んだ。在学中に啓友は人植が逮捕されたという知らせを聞き、ある種の敗北を感じた。
 人植が釈放されたのは、啓友が大学を卒業して京城に戻った頃だった。久しぶりにあった二人は酒を酌み交わし、次の飲み屋を探し歩いた。と、その時、人植は誤って暗い道端に横たわっている子供の乞食の頭を踏み抜いてしまった。人植は不慮の事故として執行猶予で釈放されたが、まったく人が変わったように感情が乱れ、他人に当たり散らすようになり、自宅は子供の乞食がたむろするようになってしまった。このため彼の妻の温淑は寮母のように子供の世話をしたが、しかし彼女はいきいきとその役割をこなした。そして彼女はある日、人植に、このまま子供たちの世話をするのではなく施設を作って面倒をみたらどうかと提案した。人植はかつての姿に戻り、施設となる建物や畑を借りた。昌倫が京城に来る直前のことである。啓友が「鶏林園」と名づけたその施設を新聞が報じるなど、順調に進むかと思われたが、しかしまもなく巡査部長に解散を命じられてしまったのだった。

第5章
 昌倫は悪夢にうなされて目が覚めた。夢で彼は「金笠伝」の舞台、金性深が笠を被り、名前も笠と称し、漂泊の詩人として生涯の旅に旅立つ前の幕のクライマックスが上演されているのを見ていたが、いつのまにか彼は性深を演じていたのである。
 外は激しい雨だった。と、彼は誰かが下宿を訪れたような音を聞いた。彼は10日ほど前に突然やって来た特高巡査を思いだして身を固くしたが、門扉を開けるとそこにいたのは李駿だった。昌倫はすぐに李駿を迎え入れ、自分の服を渡して服を着替えさせ、食べ物を差し出した。
 李駿は追われていたようだった。昌倫は深く事情を聞かず、布団を敷いて彼を休ませた。
 李駿は朝10時に起きた。昌倫は彼がすぐに出かけるものだと思ったが、李駿は椅子に腰をかけて話し出した。昌倫も、自分が今まで朝鮮のことを何も知らずに過ごしてきたことなどを話した。李駿は昌倫に、それに気がついたのはいいことだと彼を励まし、自分たちはこの現状と戦わねばならないと語った。しかし昌倫が李駿に同調するつもりで、マラルメの「人類が滅んでもいい詩の一行が残ればそれでいい」という言葉を引いた途端、李駿は露骨に軽蔑の色で昌倫を見た。李駿は、自分は今の現状に満足している、なぜなら自分が如何に生き、何をなすべきかは決まっているから悩む必要がないからだと述べて昌倫宅を辞した。
 昌倫は苛立たしい気持ちになり、本棚からマラルメの詩論の本を取り出すと床にたたきつけた。そして鐘路に行って酒を飲んでやろうと部屋を出た。するとちょうど、食母が西山玲子を彼の部屋に案内してきた。昌倫は涙を流しながら玲子に「僕達は親しくなれますよ」などと言い、あっけにとられる玲子を酒場に誘った。
 昌倫は自宅の前の坂道を鐘路のほうに向かって歩いた。途中、啓友が坂道を上がってきてすれちがったところで声をかけたが、昌倫は一度も振り返らずに鐘路まで夢中で歩いた。いつの間にか玲子は彼と別れていた。と、昌倫は人だかりに遭遇した。昌倫がのぞき込むと酔っぱらった男がわめいている。彼は息子が自分の身代わりに志願兵になってしまったと叫び続け、飲酒の自由を要求した。
 昌倫は頭が混乱したままある安酒屋に入り、店の女性と飲みはじめた。すると店の客に見覚えのある男がいるのに気づいた。彼は先日、財布をすられた昌倫を交番に立たせて説教した巡査の北川左衛門だった。北川は酔っぱらったまま昌倫に先日のことを詫び、自分は依願退職したと言った。

第6章
 新聞紙面に対する総督府の干渉はますます強まってきた。啓友は記事を書くのを途中で投げ出し、玲子のことを考えながら自宅に帰った。すると鄭仁龍から、今夜、自分の誕生日に皆で集まって談笑する場を持ちたいから、出席して欲しいという手紙が届いていた。啓友は不愉快な思いさえ感じながらも、久し振りに家族で食事をして、支度をした。
 一方、昌倫は慣れない深酒が原因でひどい風邪を引いていた。英梨の献身的な看病を受けながら、昌倫は英梨を一人の女性、理想的な妻として思う気持ちを強め、朝鮮ではタブーである従兄妹同士の結婚を打ち明けるか決意しなければならないと考えた。
 と、そこへ啓友が昌倫を仁龍の集まりに誘いに訪れた。昌倫は啓友と英梨とを互いに紹介してから支度をして、電車で鷺梁津駅まで乗り、そこから歩いて山中にある仁龍の家に向かった。
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 昌倫と啓友が家に入るとすでに4,5人が来ており、白いクロースのかかった長い卓を囲んで座って談笑していた。仁龍の姿は見あたらなかった。啓友は他の客に昌倫を紹介した。彼らはすでに啓友とは顔なじみだった。と、そこへ扉が開き、また別の1人が入ってくるとともに食事も入ってきた。昌倫には物珍しい朝鮮料理だった。
 彼らは飲み食いしながら、仁龍がいつ来るかと話をしたが、最後に入ってきた男が、これからおふくろさんと晩飯を食べるから先にやっておいてくれという仁龍の伝言を話した。すると話題は今度は人植に移ったが、佳山が人植も亡霊に憑かれていると言ったことから、啓友は彼にいきなりグラスの酒を浴びせた。二人は表に出た。しかしいきなり佳山は泣きだし、家の中から二人の様子を見ていた昌倫の目には、啓友も泣いているように見えた。
 しばらくのち、二人は部屋に戻ってきた。佳山は突然、啓友の胸ぐらをつかみながら、「郷愁はたくさんだ」「希望はどこにあるんだ」などとぶちまけ、卓に突っ伏して泣きだした。やりきれない空気が流れたが、宋里英が飲んで歌おうじゃないかと言ったのを合図に、また皆が飲みはじめ、用洙が「梁山道」を歌いはじめた。この歌は一人が一節を歌い終わると次の者がどんどん引き継いで歌っていくのだが、誰も続きを歌う者はなく、座は一瞬で静まりかえってしまった。
 そこへ鄭仁龍が文白喜とともにようやく現れた。鄭仁龍は青ざめた顔をしながらも陽気に話をしたが、しかし間もなく、誕生日でもないのに皆を呼んだのは、自分が総督府に忠誠を誓うということを話したかったのだと言いながら毒を仰いで死んだ。

第7章
 鄭仁龍の自殺から2ヶ月が過ぎ、本格的な冬となった。あの会の出席者のうち、朴珪と李宋九は鄭仁龍の葬式の席で暴れたために巡査に検挙され、とくにインターナショナルを歌った李はいつ釈放されるかもわからなかった。また啓友の勤務先だった東方日報社はついに停刊命令を受け、啓友は退職して失業者となった。
 昌倫について言えば、彼は頻繁に特高の訪問を受けるようになった。最初のうちは日本人と朝鮮人のペアだったが、やがて加藤木という日本人だけが訪問してくるようになった。あるときなど、お茶を運んできた英梨に「みだらな汚らわしい言葉」を吐き、昌倫は怒らずにはいられなかった。こうしたことがあったせいか、毎日のように訪ねてきていた英梨も、このごろは昌倫をあまり訪問しなかった。彼は食母のおばあさんに、一緒にあなたの故郷に帰って農作業でもしましょうかと、半ば本気で持ちかけるが、それは自分たちがやる仕事で、あんた方は偉くなって自分たち百姓が少しは楽になるようにしてくれればいいと取り合わなかった。
 昌倫はアナトール・フランスやパスカルの本が入った自分の本棚を見、苦労して手に入れ、京城まで運んできたこれらの本がいったい何の役に立つのだろうかと思い、叩きつけてしまいたくなった。
 と、外で足音がした。昌倫はまた加藤木かと思ったが、ほとんど襤褸のような外套をまとった李駿だった。
 昌倫は彼を招き入れ、食事をしながらゆっくり話をしたいと思ったが、李駿はそれを制し、すぐに立ち去らなければならないが、その前に用事を頼まれてほしいと昌倫に言った。そして四角い小さな包みを差しだし、これを3日だけ預かり、3日目の午後9時にやってくる男に渡してほしいと頼んだ。包みの上に置かれた李駿の左手には爪がなく、昌倫はぎょっとしたが、ようやく自分にも役に立つことがあると思うと、喜びを感じ、それを承諾した。李駿は容明が彼らと一緒にいることを伝え、立ち去った。
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 同じころ、啓友は新村の従兄弟を訪ねたあと、京城駅と思われる駅で「沙羅」に電話をして玲子を呼びだした。しばらくすると駅の待合室に玲子がやってきた。
 と、そこへ出征する青年を見送る万歳の声が聞こえてきた。玲子の知人の鈴木富夫が出征するのだった。啓友は彼女に、鈴木を見送ってやるよう伝え、彼女は駅のホームで鈴木を見送った。啓友は、玲子も万歳をしているだろうと想像した。
 その後、二人は朝鮮銀行の前を通り、あるホテルで食事をした。玲子は京城に来てから日本の植民地下にある朝鮮人の暮らしがどういうもので、彼らが日本人に対してどう考えているのかがよくわかったと告白し、その上で、朝鮮人が日本人を憎んでいることは良く理解できたが、しかし自分は今でもまだ朝鮮人である啓友を愛していると訴えた。
 啓友は黙って話を聞き、やがて玲子が、酔いが回って寝てしまうと、彼女をホテルの部屋に連れていって寝かせ、自分自身は雪が降る中、そのまま自宅に戻った。戻るとそこには頭を坊主にして満州の協和会服を着た洪人植がいた。

第8章(初出では第9章となっているが8章の誤り)
 昌倫は今まで、食母は彼の食事をして運び、自分はまた別のところで気楽に食事をしているのだとばかり思っていた。しかし昨日、昌倫は食母が台所で昌倫の残りものやキムチで食事をとっている光景を見つけ、その奴隷的な風習に驚かざるを得なかった。しかも彼女は、昌倫がいくら言ってもそれをやめて自分と一緒に食事しようと言って聞かせてもあらためようとせず、現状の身分に満足しているのだ。昌倫はこうした伝統的な風習に批判的な目を向けていくことで、次第に自分が朝鮮人となっていくのを感じたが、しかし同時にそれを打破するためにどうすればいいかわからず、煩悶するしかなかった。
 彼はふと、啓友に会いたくなり、外出の準備をした。と、そこへ北川左衛門がやって来た。戸籍調査の要領で住所を調べてきたのだという。北川は、娘の婿が北京におり、そこに行くことになって奥さんもついていきたいと言いだし、自分も京城を離れることになったと、別れの挨拶を告げた。彼は、久し振りにやってきた英梨から、玄関の前に落ちてあったという手紙を渡され、それが啓友からのものだったために気になりながらも、しばらく北川の相手をした。
 北川が帰った後、昌倫は英梨にいきなり愛の告白をするとともに、啓友たちと一緒に朝鮮民族のために闘うことを決意したことを打ち明けた。英梨は待っていたように彼の告白を受けいれた。
 そして昌倫は、啓友からの手紙を読みはじめた。しかしみるみる眼がひきつり、便せんを持った手を振るわせはじめた。「俺は俺が指し示すところを指して行く。君はまた君で自己の行く道があると思う」──啓友からの誘いだと信じていた彼は、除け者にされた屈辱感でいっぱいになった。先日、李駿から任務をもらったとき、昌倫はそれが自分を新しい道に導いてくれるかと期待したがそのようなものはなかった。しかし啓友まで自分を除け者にするとは思っていなかった。「俺には何の力もないのか」──昌倫は手紙を焼きながら、その煙を出すために扉を開けて廊下に出た。
 加藤木と朝鮮人の特高がそこに立っていた。
 昌倫は手錠をかけられ、連れて行かれたが、しかし雪道を歩きながら、ほとんど笑い出したいほど心が軽くなっていくのを感じた。自分は啓友たちについて何も知らないと言い通すこと──「俺にもやはり一つくらい役割はあったのだ」。今度こそ運命の展開に導かれているのを感じながら、彼は二人の特高に連行されていった。(完)

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