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金達寿事典

まくわ瓜と皇帝(小説)
空白

 太平洋戦争下の秋、当時、京城日報社の社員だった「私」が、まくわ瓜を買いに行こうと下宿を出たところ、「李王殿下」の帰郷の行列に出会ったという短編。『2日』3号(1958年8月 2日会)に発表。

 「太平洋戦争がさかんなころ」のある秋、いつも腹を空かせていた「私」は、京城でいっときだけ「ハンラン」していたまくわ瓜を買いに、夕食を食べたばかりにもかかわらず下宿を抜けだして通りにある青物屋へ歩いていった。するといつもと違って、通りはばかにしんとしていて、人っ子一人いない。思わず立ち止まった「私」は、そのへんにいたおかみさんから、「李王が、とおるんだそうですよ」とささやかれる。
 李王殿下、すなわち「本来ならば第二十八代目の朝鮮国王となったはずの李王垠」が墓参りのために帰郷したということで、その行列が通るのだという。「私」は「李王殿下というのはいったいどういう顔をしているのだろう」と興味が湧き、通りで李王殿下が通るのを待った。
 しばらくすると憲兵のオートバイに先導された黒い自動車が1台やって来た。あたりは薄暗かったが、車内のルームライトのおかげで、「私」はその中に座っている李王殿下の姿をはっきりと見ることができた。「私」はその姿が「古高宗・李太王」の写真とそっくりだと思うと同時に、彼が何とも悲しげな表情をしていることを目にとめた。
 間もなく車が去ってしまうと、「私」はまくわ瓜を買って下宿の部屋に持ち帰り、それを机の上に投げ出したまま座っていた。李王殿下の姿が頭から離れず、さらにまくわ瓜をぼりぼり食っている自分の姿が遠景のひとつのようにうつり、「そしてその遠景のなかには自分がいままで経験してきた、またみてきた朝鮮人のみじめなさまざまな姿が二重うつし、三重うつしとなってあらわれた」。
 「私」は激しく頭を振り、まくわ瓜のひとつを取ってばりばりと音を立てて囓った。

 この小説に書かれた出来事の真偽は不明だが、仮に金達寿が実際に体験したことを素材にしているとすれば、京城日報社に勤務していた1943年秋ごろのエピソードだと思われる。しかし現在のところ、李王殿下がこの時期に帰郷した事実があったかは不明である。
 なおこのとき「私」が立っていたところは、「光化門通りを入って突きあたりの総督府から右に折れた、司諫町をへて安国町、景福宮へといたるゆるい坂道」であり、司諫町は実際に達寿が下宿していた場所である。しかしこの道順通りに進むと、安国町の先にあるのは景福宮ではなく昌徳宮であり、景福宮は「光化門通りを入って突きあたりの総督府」の裏側にあった。
 これは達寿の単純な記憶違いなのかもしれないが、あるいはもうこの時期には、達寿の頭の中からソウルの地図がうすれていたのかもしれない。

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