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金達寿事典

日本人妻物語(小説)
空白

 北朝鮮の帰国事業で江原道に帰っていった朝鮮人を夫に持ちながら、実家の都合で新潟に留まらざるをえない加原芳江という日本人妻の半生に焦点を当てた小説。『別冊週刊朝日』1961年5月1日号に発表。

 北朝鮮への帰国事業がはじまって間もなく、「私」のところに、それをテーマにした映画シナリオの脚本か何かを書いてみないかという話が入った。しかし私は生返事をして放っておいた。すると今度は知人の俳優Kから、やはり在日朝鮮人の帰国をテーマに企画をしたいという話が入ってきた。しかし今度も「私」は、映画などを実際に撮影するには、やりたいからといってすぐにできるものではないからと、積極的に心が動かなかった。
 そうこうしていると、ある日「私」は加原芳江という日本人妻のことを耳にした。「私」は彼女に興味を持ち、またKに芳江のことを話して、二人で彼女に会いに新潟に行くことになった。新潟に着いたのは、第四十何次かの帰国船が出港する日だった。「私」とKは朝鮮総連の出張所に向かって芳江のことを聞き、そのあと新潟港で船を見送ってその港で芳江と会った。
  その後、「私」とKがとっておいた宿に芳江を招き、彼女の話に耳を傾けているうち、「私」は何か書いてやろうかという気持ちになってきた。
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 加原芳江の実家は奈良県のある町にあり、彼女はそこで生まれた。実家は小さな製材工場を経営しており、成長した芳江はやがて跡を継ぎ、また中川重夫という日本人を入り婿に迎えた。しかし彼女が長女のさだ子を身ごもっていたにもかかわらず、重夫は太平洋戦争中に二等兵として戦死してしまった。
 そのころ、芳江の製材工場に劉徳守という、南朝鮮の金海から九州に徴用で連れてこられたが、何かの都合で解除されたのち、彼女の工場で働くようになった朝鮮人がいた。日本が敗戦する直前の1945年に二人は結ばれ、まもなく戦争が終わると芳江はさだ子を連れ、劉徳守に手を引かれて彼の故郷に行った。最初のあいだ、彼女は劉の実家からあたたかいもてなしを受けた。しかし南朝鮮の混乱で仕事がないため、劉が再び日本に戻ってしまうと、劉の実家の態度にも少しずつ変化が起こった。さらに再び日本と朝鮮が戦争するという噂が流れ、スパイになる前に今のうちに彼女を集落から追い出してしまえと、集落の朝鮮人たちが迫ってきた。悲しみのあまり、彼女はさだ子とともに身を投げようかと追いつめられたが死にきれず、日本に引き揚げざるをえなかった。
 ようやく京都の舞鶴に到着したものの、家や祖国を棄てて朝鮮に渡った身のため、故郷の奈良県に戻ることができなかった。そこで彼女は芦さんという劉徳守の知人が大阪・今里にいたことを思いだし、そこに向かった。日本に引き揚げる際、朝鮮人なんかと憎んでいた彼女だったが、芦さん夫婦に出会うと、不思議なことに親戚にあったような嬉しさを感じたという。しかも夫の劉はそこで担ぎ屋をやっており、ほんの1時間ほど前に、秋田県のほうに買い出しに行くために出ていったところだという。
 数日後、芳江が劉と再開して事情を聞くと、もう彼を怒る気にもなれなかった。しかも彼は芳江やさだ子のために、下着から薬まで持って帰る準備をしていたのだった。
 しかしやがてかつぎ屋の仕事も立ち行かなくなり、彼らは1948年6月に福井で起こった地震の復興工事の現場で働こうと、そこに向かった。そのとき芳江は劉との子供である長男の義夫を身ごもっていた。
 福井では劉は土木作業員として働いたりかつぎ屋の仕事をし、芳江は濁酒を作ったりたばこ巻きなどをして一生懸命働いた。そのおかげでやがて暮らしは楽になった。
 ところがある日、劉は仲間とともに県会議員の吉川からかつぎ屋の仕事を請け負った際、仲間が荷物を持ち逃げしてしまった。荷主はそれを劉の詐欺として朝鮮人連盟に持ちこみ、劉は同胞から「朝鮮人の面汚し」と殴られまくった挙げ句、ようやく5万円を払って詫びを入れる形で収まった。しかしこの一件で彼らは居づらくなったが、そこにさらに芳江の実家から、さだ子を引き取りたいという話がきた。さだ子は前夫との子供で日本人だから朝鮮人の手にまかせておくわけにはいかないと言うことだったが、実際の理由は当時から支給されはじめることになった旧軍人恩給が目的のようだった。芳江は劉の妻になっていたが、戸籍はまだ重夫の妻となっていたから、彼女がいれば重夫の恩給を受けることができたのである。
 この二重の出来事に劉はショックを受けたが、気を取り直して一家は新潟に移った。新潟では屑屋をやり、またもや生活は楽になったが、しかし今度も劉が、古電線の銅を盗んだという嫌疑で警察に捕まってしまった。それは実は作業員たちがちょろまかして劉に売ったものだったが、劉は彼らに問題が波及して首になるのを心配し、ひたすら無実を訴え続けた。
 芳江の奔走によって劉は釈放されたが、警察に拷問され、泥棒の汚名を着せられた彼は、すっかり別人のようになり、精神的に病んで働こうとせず、酒や博打に耽るようになってしまった。
 芳江はこの頃から市の失業対策事業所にいわゆる「ニコヨン」として働きはじめ、苦しい生活をなんとか耐えた。と、数年後、彼女は北朝鮮の帰国事業の話を聞き、劉にその話をした。すると劉は朝鮮に帰れる嬉しさから目を輝かせた。そんな夫や、夫との子供の義夫の将来を考え、再び彼女は一緒に朝鮮に帰っていこうと決意した。
 そして一家は申請をしたが、芳江の実家から芳江の帰国に待ったがかかった。軍人恩給のためである。実家からは、せめてさだ子が一人前の看護婦になるまで、せめて来年の三月まで帰国を見あわせてほしいと訴えてきた。そんなわけで彼女は現在もまだ夫が北朝鮮にいる日本人妻であると同時にいわゆる日本の戦争未亡人として、新潟に一人取り残されているのだ。

 この小説は、「日本にのこす登録証」に続いて、北朝鮮の帰国事業をテーマにした金達寿の第2作である。初出のタイトルは「日本人妻物語」だったが、『金達寿小説全集2』に収録される際、「日本人妻」と改題された。

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