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金達寿事典

李川氏についての二章(小説)
空白

 「私」の住んでいる家の隣に、李川萬相という人物が新築を建てるという短編小説。『民主朝鮮』1946年7月号に孫仁章の筆名で発表。『金達寿小説全集』など、どの単行本にも未収録。

 「私」の住んでいる家の隣には50坪ほどの空き地があり、この地域一帯が市の工事建設指定地帯となっているため、工場が建つとばかり思いこんでこれからの騒音を覚悟した。しかしある日、李川萬相という土木請負師が挨拶にやってきたため、建築しているのが家だとわかった。彼は惨めな目にあいながらも懸命に働き、子供たちのためについに新築を建てることになったのであった。
 李川氏はしばらく世間話をしたが、やがて「私」に建築会社からの書類を見せ、「私」はこれが李川氏が訪問してきた理由だと思った。文字を書けない李川氏にかわって「私」は書類に必要事項を書き込んであげ、僕たちは一日も早く自分の家を建てて立派に生活したいものです、あなたはよくやってくれましたと激励した。
 その後、李川氏は建築会社とちょっとしたトラブルになり、契約を解除して自分の会社で建てたいと言いだし、「私」は彼の頼みで会社に行って交渉するということがあったが、何とか無事に李川氏の家は完成した。「私」は落成祝いに招待する葉書を書いてあげ、翌日、兄と、毎日のように兄や「私」の家に来ては話をしている宋氏と3人で、新築を訪問した。
 3人は李川氏の妻の出迎えを受け、応接間に案内されると、そこには紫壇のテーブルを前にして床の間を背負った李川氏の姿があった。3人は愉快な気持ちで真新しい畳に座り、部屋や庭を見渡して李川氏を祝福した。
 どんな人間にも生涯には幸福なときというものがあるが、今夜の李川氏はまさにその瞬間を味わっているのだった。

 小説の末尾に作者から、この作品にはもちろんその2があるが、1だけでも独立した一つの作品と見られるので、続きが書かれるとは限らないと付されており、実際に2は書かれなかった。
 また同じく末尾に1944/11と記載されていることから、この小説も「祖母の思ひ出」や「後裔の街」と同様、回覧雑誌『鶏林』に発表されたと推測される。実際、李川氏の名刺の肩書きには「土木建築請負/海岸施設部出入許可人/協和会──支部幹事」と記されており、この小説が解放後を舞台にしたものではないことがわかる。
 この時期の金達寿は自分や家族、友人の体験を素材にして小説を書いているため、この小説にもモデルがいると思われるが、具体的なことは不明である。

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