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金達寿事典

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(1) 雑草
(2) 雑草の如く
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雑草(小説)
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 「内地」で貧しい生活を送る鄭一家と、なんとかその環境から逃れようと奮闘する鄭守の様子を、鄭守の友人である敬泰をとおして描いた短編小説。『芸術科』1942年7月号に大澤達雄の筆名で発表。伏せ字なし。以下のあらすじは初出にもとづく。

 敬泰と鄭守はともに郷里を同じくしており、東京にある大学の専門部で学んでいた。鄭守は幼少時から成績優秀で、中学校を卒業するまでずっと首席だった。しかし授業料を滞納したため除籍され、現在は北海道で土木労働をしており、間もなく実家に戻るという手紙を敬泰が受け取ったところから物語ははじまる。
 鄭守の父の永徳は、片足が不自由なこともあるが仕事に就いておらず、家ではとにかく暴君として振る舞う。鄭守の母はこのような境遇をすっかり受けいれ、決して逆らうことなく永徳に仕え、鄭守の兄の鄭甲も永徳に対しては無抵抗主義である。鄭甲は30代後半で妻もいるが、体も気も弱いため他の労働者に伍していくことができず、今は床に寝ついている。唯一の働き手である鄭守は、何とかこの境遇から抜け出そうと一生懸命に仕事をして勉強するための資金をためたり実家に仕送りしたりするが、すべて永徳が自分だけのために使ってしまい、貧しい生活から抜け出せない。
 それでも鄭守は諦めずに仕事を探し、今度はK市のある軍需会社の事務員に応募しようと履歴書を書く。鄭守は敬泰に、活動写真を奢るから一緒について来てくれるよう頼み、敬泰は快く応じるが、鄭守の気持ちを痛々しく感じる。
 数え切れないほど何度も就職に失敗してきた鄭守は、職業指導所の前に来ただけで明らかに狼狽しはじめ、一度はそのまま会社の建物を素通りしてしまう。敬泰は、ここが駄目になっても他にいくらでもあると鄭守を激励し、彼を送り出す。
 しばらく後、鄭守は戻ってくるが、敬泰に会うなり「駄目だよ、駄目だ」と手を振って言った。面接ではまずここに来るまでの電車賃の額を聞かれ、それから県立中学を出ているから他にいいところがあるだろうと、「始めから慰める口調」で話されたという。
 鄭守は、自分のすることは定まっているらしいと呟いた。敬泰は「馬鹿野郎!」と言いながら鄭守の頬を打ち、それから彼の肩を抱きしめながら「前方の晴れ渡った空」に向かってもう一度、「バカヤロー!」と叫んだ。
 敬泰は鄭守に活動写真を奢ってから家に帰ったが、鄭守にこの機会を逃してもらいたくないと思った。敬泰は、「新しい習慣の中に故郷を創る人々」の子供たちが、卒業を前に申し合わせたようにして学校を辞め、土木労働者や屑屋になっていくのを幾度となく目撃してきた。彼らがその「世紀末的魅力」に溺れていくのには、決して彼らの性格からではなかった。「彼らが退学させられたり、落第するのは決して才能が欠けているからではない。秩序のない今日今日の生活の家庭と、秩序を要求する学校とが人より何倍かの才能を要求されたのだ」。敬泰は、鄭守にビールでも飲みながら二人だけでわかる話で語りあいたいと思い、自宅で彼の訪問を待った。
 他方、帰宅した鄭守は、自分が引き出しの中に大切にしまっておいたものを、永徳がその引き出しごと家の前の溝に叩きこわして捨ててしまったことを知った。そこには大切な手紙はもちろん、中学校の成績表や賞状などが入っていた。彼は「ある心持」になったときにはそれらを眺め、そのことで生きる元気を取り戻していたのである。
 鄭守がやってきてから、二人は露店の建つ街の裏通りの喫茶店でビールを飲みながら話した。敬泰は鄭守に、自分に自信を持つよう必死に励まし、鄭守もまた、「俺も自分の生きることに熱意を持って進んで行く」と応じる。
 喫茶店を出た敬泰はもう一度、「無表情に澄んだ大空」に向かって「バカヤロー!」と長く高く叫んだ。

 「雑草」は、金達寿自身が公言しているように、彼の生涯の友人である張斗植の一家を、ほぼそのまま描いたものである。そのことは斗植の自伝『定本 ある在日朝鮮人の記録』P536-550を照らし合わせて読めば一目瞭然である。
 北海道にいた斗植は、金達寿に「チチキトクスグカエレ」の偽電報を打ってもらい、1941年8月半ば、横須賀に戻ってきた。しかし生活が良くなるあてはなく、斗植は川崎市郊外にある航空計器会社の面接を受けるが、小説と同様、電車賃の額を聞かれてそれを帰りに会計係のところでもらってくれと言われ、放りだされてしまう。
 斗植はその後、友人の金鐘勲から誘われて41年12月7日夕方、土木工事の仕事に就くため、南洋の南鳥島に出発した。

雑草の如く(小説)
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 『文芸首都』に発表した「雑草」を加筆・修正して、『民主朝鮮』1947年6月号に金達寿の名前で発表したもの。物語の内容はほぼ同一なので省略し、ここでは初出との差異について述べる。

 まず登場人物の名前であるが、金達寿の分身である「敬泰」が「太俊」に変更され、また張斗植一家の分身である「鄭」姓が「丁」姓に変更されている。兄弟の名前に変更はないが、父親の名前が「永徳」から「龍徳」に変更されている。
 冒頭、太俊が丁守の手紙を彼の実家に持っていく場面からはじまるのは同じだが、初出では敬泰は朝鮮語を十全に操ることのできない朝鮮人として、鄭守の母親は「内地語」で書かれた鄭守の手紙を読めない人物として描写されているのに対し、「雑草の如く」ではこの部分は削除され、丁守の母はやはり丁守の手紙を読めないものの、太俊とは互いに意志疎通できる関係になっている。
 次に「雑草の如く」では何カ所かで太俊と丁守の経歴がやや詳しい記述が挿入されており、彼らがともに「慶南道の片田舎」から渡日してきたこと、太俊が「横須賀線の終点から東京の学校」に通っていることなどが明らかになった。
 父親との確執や丁守が就職に失敗する話の部分は初出も「雑草の如く」も同じだが、物語の最後はまったく違っている。すなわち「初出」では、場末の喫茶店でビールを飲みながら、敬泰が鄭守に様々な話をし、それに触発される形で鄭守が、敬泰に言われたからではないが、これから自分の生き方に熱意を持って進んでいくと宣言する。これに対して「雑草の如く」では太俊がほとんど一方的に話をした後、自分は今日から学校を辞めてK新聞に絶対に就職してみせると誓う。さらに喫茶店を出た後についても、初出では鄭守が露天商から売れ残りの下駄をすべて買い、これに張り合う形で敬泰が別の露天商から植木鉢を買うが、「雑草の如く」では太俊が下駄を買い、丁守は何も買わない。
 このため「雑草の如く」では初出に比べて太俊の主体性が強く印象に残る一方、丁守はそのような太俊と対等な関係というより、彼の後をついていく存在として、印象が弱められている。

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