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金達寿事典

司諫町五十七番地(小説)
空白

 司諫町57番地の下宿に暮らす朝鮮人たちの様子をとおして、植民地下における日本人と朝鮮人との差別待遇の一端を描きだしたもの。新日本文学会東京支部機関誌『文学時標』3号(1948年6月 文学時標社)に発表。以下のあらすじは初出にもとづく。

 主人公の李宇植は日本の大学を出たのち、京城の新聞社である京城時報社に校正部員として働いており、司諫町57番地の下宿に一人で暮らしている。この下宿には彼のほか、朴駿・黄先達・尹相道・許一載・洪在守など総督府に勤めている者や金章煥という詩人、于鮮享三という全羅道から医師の免許試験を受けに来ている者など、いずれも独身者が住んでおり、主人である慶姫の姪の珠仙が食母(女中)として住み込んでいる。
 彼らは皆、どこかに務めているが、25日の給料日になると憂鬱になる。それは同僚の日本人が給料に加えて給料の6割の「外地手当」をもらえるのに、彼ら朝鮮人にはそれがないからだ。しかも彼らの同僚の日本人は決して有能ではなく、しかも「内地」から赴任してきたならまだしも朝鮮で生まれ育った日本人なのに、彼らは手当てをもらえるのである。普段は「内鮮一体」などという美辞麗句で差別待遇を忘れようとしても、25日には否応なしに自分たちが置かれている位置を思い知らされるのだ。そのことに加え、宇植は自分が校正部員という、「その経験がなければ、その暗さ、惨めさはほかには分らない」部署にいることも憂鬱だった。
 この25日も彼らは、その憂鬱さを振り払うため皆で寄り集まって宴会をしていたが、そこに慶姫が下宿代を取り立てに来たのを潮時に、皆、それぞれの部屋に戻っていった。宇植がごろんと横になっていると、珠仙が水を持って部屋の前に座った。宇植は荒々しく手を伸ばすと珠仙を部屋の中に引き入れ、キスをした。
 ドイツが降伏した5月8日前後、司諫町では、府の防空課長や警察署長が視察に訪れて防空の総合訓練が行われ、下宿人たちも無理やり引っぱり出された。しかし、バケツリレーの最中、金章煥がいきなり愛国班長の戦闘帽に向かって水をかけ、さらにバケツを奪っては人びとに水をかけ続けた。その晩、金章煥は逮捕された。
 次の日、宇植は、ふと警察に寄ってみようと思い、その前まで来たところ、愛国班長の奥さんから、宇植たち下宿人をみな逮捕しようと息巻いていることを知らされる。彼は4日ぶりに出勤し、仕事をしていると、珠仙が仕事場にやってきた。珠仙は于鮮享三に結婚を申し込まれており、その相談に訪れたのだった。宇植はあなたの本心はどうなんですかと尋ねるが、珠仙はそれには答えず、自分は今日は家に帰りたくないという。
 宇植と珠仙は薄汚れた旅人宿に入り、珠仙が部屋の汚れている部分を掃除した。と、そのときいきなり部屋の戸が開かれ、男が入ってきて宇植は手錠をかけられた。

 金達寿は自分や家族、友人の体験を小説に書いているが、この小説は1943-44年にかけて京城日報社に務めていたときのエピソードを素材にして小説にしたものである。小説のタイトルである司諫町57番地は、彼がそのときに暮らしていた下宿のあった場所である。
 給料格差にあらわれる日本人と朝鮮人と差別待遇や、校正部員の仕事の惨めさは、金達寿が自伝で記している。ただしこれはもちろん校正部の仕事に価値がないということではなく、金達寿が記者として就職したいと思っていたのに校正部にまわされ、これなら神奈川新聞社で記者をやっていた方がましだったのではないかという不本意さの反映である。
 下宿人たちにもモデルはいると思われるが、具体的には不明である。ただし金章煥は、実際に金達寿がこの下宿で知り合った詩人の金鐘漢ではないかと思われる。彼は東京で『婦人画報』の編集に7年も携わっており、金達寿は彼から、彼の本を褒めた中野重治からの手紙を見せてもらっている。また『民主朝鮮』創刊号には彼の遺稿の詩が3編掲載されている。

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